東日本大震災を経験して

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僕は福島県出身です。震災の時は高校1年生でした。

 
2011年3月11日に起きた東日本大震災から早5年、いつの間にか高1だった僕は大学3年生になりました。
 
今日は5年という節目の年なので、当時の気持ちや震災を経験して感じたことなどを書きます
 

2011年3月11日

この日の僕は高校の入試の期間で学校は休みだったので家にいました。
 
両親は仕事だったため、僕は1人で家でマンガを読んだりゲームをしたり、のんびりと過ごしてだと思います。
 
いつもと変わらない日常。特別変わった様子がない本当に普通の日でした。
 
あの瞬間までは…
 
午後2時46分、ものすごい地鳴りがし始め、僕は「あ〜地震でも来るのか?」なんて考えていました。しかし、その直後に想像以上のものすごい揺れがやってきたのです。
 
部屋に置いてあった本棚が倒れテレビが落ち、立とうとしても立てないほどの揺れです。
 
しかし、この時点ではただものすごい地震がきた程度の感覚。まだ「すごい揺れだったけど震度何かな?」みたいな感じでどのくらいの揺れだったのか、どちらかというと恐怖よりも好奇心が混ざっていたような気がします。
 
そして、確認するためにテレビをつけてNHKにを選択。そこでテレビに映し出されたのは地元の漁港の様子。
 
津波警報が出ていて数分後には見たこともない大津波に飲み込まれていく様子が移りました。
 
まるで映画を見ているような感覚。いつも天気予報などでも映し出される漁港が、見たこともない大津波に飲み込まれているのです。
 
幸い僕の実家は山沿いで海からは離れているので津波の影響は全くありませんでした。
 
ようやくことの重大さに気づいた僕は、急に不安に襲われ両親に電話をしようとします。が、全くつながらない。ますます不安になります。
 
連絡が取れない携帯などただのゴミ同然。自然の前では無意味。
 
結局両親が帰ってくるまで連絡は取れませんでした。しかも、道路がものすごく混んでたため結局両親が帰ってきたのは地震が発生してから2時間後くらいだった記憶があります。
 
ものすごく不安な時間でした。
 
連絡が取れないから両親の安否もわからない。とてつもなく怖いものです。
 
 
とりあえず両親は無事帰ってきました。経験したことのない大震災で両親もパニックだったに違いありませんが、父親は家族の安否を確認した後、父親が浴槽に水をいっぱいに貯めていました。
 
これはもし水が止まった時にトイレを流すときなどに使うため。冷静で的確な行動をとった父親を尊敬します。
 
案の定断水してその水は役に立ちました。
 
親父っていう存在は一家の大黒柱なだけありますね。
 
震災が起きて家族の安否が確かめられたら次に問題になるのは食料です。普通の家庭だったらある程度の食料は家にあると思いますが、もし何もなかったら1番近くのコンビニかスーパーに行ったほうがいいです。
 
驚くぐらいあっという間に食料がなくなります。しかも、結局人間は自分が可愛いので人のことなんか考えないで買えるだけ買っていく。
 
震災のとき初めて売り物が何もなく閉まっているコンビニを見ました。
 
おそらく生きてるうちにあの状態のコンビニを見ることはないんじゃないかなぁ。
 
 
とりあえず家族の安否がわかり、食料もある程度の備蓄がある。
 
電気は一時停電したものの、割と早く復旧。テレビで被害の甚大さを見つつ、その日は何年かぶりに家族揃って同じ部屋に寝ました。
 
でも、最初の揺れがあってからずっと大きな揺れや小さな揺れが続いていました。
 
 
次の日は朝早く実家近くのおばあちゃんの家に。昨日のうちに安否は確認できていたので、ある程度安心だったのですが、未曾有の大震災。何故か家と違って水が出るということでおばあちゃんの家で過ごしました。
 
 
相変わらずテレビではどこどこで被害が出ました!とかそういう話題。あれだけの地震があったのですから当然そのニュースしかやってません。
 
福島以外でも宮城などでも甚大な被害が出たという報道をしていました。
 
そんなニュースを眺めていた時、何時かは忘れましたが福島第一原発が爆発が報じられます。
 
その時の僕はことの重大さを理解しておらず「終わりの始まりだ!」みたいなことを考えてたような気がします。不謹慎極まりない。
 
 
正直その後自分がどう過ごしたかの記憶があまりないのですが、原発の爆発のニュースやどこどこでは死傷者が何人だとかのニュースが続き精神的にも参っていました。
 
いつもの日常がぶっ壊され、非日常が続くとある意味それに慣れてしまい、あぁまた原発のニュースか…なんて考えてしまう自分がいました。
 
ても、ACのサヨナライオン!とかいう「ぽぽぽぽ〜ん」のCMは相当精神的に辛かったです。他のCMやってませんでしたからね。
 
震災のニュース→ぽぽぽぽ〜ん→震災のニュース→ぽぽぽぽ〜ん の繰り返し。マジで気が狂うかと思いました。
 
毎日毎日同じニュース同じCM、そして実際に原発の影響はどれくらいあるのか。
 
テレビではえらい政治家が「ただちに影響はない」と強い口調で言っています。なにが本当かもわからない。ニュースで報じられることなんか全て本当とは限らないんだなあ。
 
高校とも連絡が取れずそれからずっと休み。結局高校が再開したのは、たしか5月のゴールデンウィーク明けでした。
 
 

震災を経験して

いまだに福島出身だというと、地震大丈夫だった?なんて聞かれます。
 
その度に僕は「大丈夫だったよ」と答えますが、それと同時に福島=震災のイメージが強いことを残念にも思います。
 
でも、もちろん心配していただくのはとても嬉しいことです!
 
 
 
もし自分が今同じ規模の地震が起きたとしたら、僕はあの時の経験を活かした行動が取れる
だろうか?と、ふと考える時があります。
 
とりあえず頭の中では趣味レーションをしてみます。
 
まずは自分の安全確保。それから周りの人たちの安否確認。水が止まったら大変だから浴槽に水をいっぱい貯めて、食料を確保するためにコンビニへダッシュ。
 
うんうん。だいたいの流れは抑えてる。でもコレが実際に起きた時に出来るかは別の話。
 
たぶんですが、できないと思います。それくらいパニックになる。
 
 
 
今誰かに震災の時感じたとこと話してよ、なんて言われたら僕は「怖かった」くらいの言葉でしか表現できません。自分の表現力と語彙力のなさを嘆かずにはいられませんが、本当にそれくらいしか思い出せないんです。
 
もっというと忘れている。人間って本能的に嫌な思い出は忘れるようにできているんですかね?
 
そう思うくらい覚えていません。本当に震災なんてあったのか?悪い夢だったんじゃない?って思うくらいです。
 
でもやっぱり度々流れるニュースを見ると現実だったんだなって思いますけど。
 
 
それからよく震災を経験して価値観が変わった!みたいなことを言いますが、僕個人としてはそんなに変わってないです。
 
日々を一生懸命生きようとかも思わないし、いつ死んでもいいように精一杯生きようとも思わない。
 
ただ唯一感じたことは、絶対に海沿いには住まないってことです。理由は単純に津波が怖いから。
 
 

マスコミに報道される福島県

なんだかこの時期になると被災者がテレビに出てきて当時の心境なんかを語るじゃないですか。
 
特に原発周辺に住んでいた人たちが。
 
テレビを見ると未だに家に帰れなくてかわいそう、、、みたいに映っていますし、本人たちもそんなことを言っています。
 
僕からしたらよくそんなこと言えるな!みたい感じです。
 
僕のいた町は原発の避難区域とかではないのでそのまま住んでいますが、避難してきた人たちも多くの住んでいます。
 
マスコミでは帰れなくて辛い。早く帰りたい。なんて言っているのに、現実では国だか東電から多額の金をもらって高級車を乗る人が結構います。
 
みんながみんなそうとは言いませんが、明らかに暮らしの質自体は上がって人が多いんじゃないですかね。
 
マスコミが求める被災者は、家に帰れなくてかわいそうな姿で今でも町に帰還したがってる様子でしょうが、実際は別の地域に家を建ていい車に乗り、テレビが来たから悲しがるなんて人もいなくはないと思います。
 
別に避難した方々を非難するわけではないですが、それ相応の賠償金やらなにやらを貰っているはずなので、もうちょっとなんとかならないのかなぁってのが正直な感想です。
 
マスコミがそう報じるのが悪いですけど…
 
震災後避難してきた人たちが増えた時にびっくりしたのが、地元の小さなスーパーの買ったものを詰める台の上に座ってアイスを食ってる大人がいたこと。その人が避難してきた方かはわかりませんが、いつも行くスーパーで1度もそんな人を見たことがなかったので、勝手にそうなのかなって思ってます。笑

あくまで本の一部の人たちです。本当に苦しんでる人たちは大勢いますが、残念ながらそういう人たちもいることは事実です。
 
でもきっとマスコミが報道しないだけで、被災者の裏側はたくさんあるのかもしれませんね。
 

3月11日に赤飯は不謹慎?

 
こんなニュースがありましたね。これについて僕なりの意見を勝手に書きます。
 
僕としては不謹慎でもなんでもないから赤飯食べなよと思います。
 
確かに2011年の3月11日には東日本大震災が起き、甚大な被害をもたらしました。
 
しかしそれは2011年の3月11日の出来事であり、2016年の3月11日とは全く関係がないのです。
 
震災が起きて世間がパニックになってるその日に「いや〜めでたい!」とか言って赤飯食ってたら不謹慎すぎてびっくりしますが、2011年の3月11日と今年の3月11日は全く別の日なのです。
 
ただ単に日にちが一緒なだけであって、不謹慎だとかはないと思います。
 
例えるならば自分の誕生日にお祝いをしますけど、その自分の誕生日に死んだ人もいるはずです。そしたらそれは不謹慎なのか?っていうことと同じくらい不毛な話なんじゃないかなぁと僕は思います。
 
そして福島県民はそんなに不謹慎だからやめろ!なんていうことを望んでいない。
 
大震災を風化させたくない気持ちはありますが、それだからといってこれから先の3月11日にある祝い事を不謹慎だからやめろ!という事は絶対ないと思います。
 
3月11日は祝い事を自粛する日ではない。
 
何度も言うように2011年の3月11日とこれから先の3月11日はただ単に見かけ上の同じ日付というだけで、全く別の日なんです。
 
そもそも不謹慎って言葉が不謹慎な気もします。3月11日は震災があった日だから祝い事をしたら不謹慎!っていう考えは、震災を風化させないために言っているのかもしれませんが、逆に3月11日は震災があった残念な日!と言ってるようにも感じる気がします。
 
風化させないという考えで言っているなら、もっと別の形で表現してほしいなあ
 
 
まあ、だからとりあえず赤飯をお食べ。
 

今現在の福島県

休みのたびに帰省していますが、やはりニュースでは未だに原発の話をしています。
 
僕は今東京に住んでいますが、福島県に帰ると東京では報じられていないニュースがたくさんやっています。
 
天気予報では放射能の量も報じているし、原発がどうなったかなんかも細かく放送されています。
 
 
先月帰省した時に海沿いを見ました。津波がきた数日後に行った時は瓦礫の山で、まさに地獄絵図。
 
しかし今は瓦礫も片付き、新しい家もちらほらと立っています。そして大きく変わったのは、とても大きな防波堤が作られたことです。海が見えない!なんて言ってる人もいるのだとか。笑
 
震災の爪痕はほとんどなく、元からそこには何もなかったかのようにすら感じます。
 
今の子供達は震災のことを知っているのかなと思うほどに綺麗になっている街を見て、復興が進んでいるんだな〜と嬉しい気持ちになる反面、震災が過去の出来事として風化されてしまう恐怖もあります。
 
でも必要以上に3月11日という日に敏感になる必要はありません。ただこの日には大震災が起きたんだなっていう事実を忘れないでいればそれでいいと思います。
 
そして、僕たちみたいな若い世代の人たちが頑張って昔以上の福島県を作れたらなぁなんて思います。
 
 

まとめ

福島県は5年の月日を経て、着実にそして確実に復興しています。
 
原発の問題はまだまだ解決しそうにありませんが、それでも福島県民は普通に生活しているし、どの県の人たちよりも元に戻ることを切に願っています。
 
だからこそ、過度に気を使ってあれをするのは不謹慎だとか、そういうのはしなくていいんじゃないのかなって。
 
なんか受験生に向かって「落ちる」とか「滑る」とか言っちゃいってのと同じ感覚で、逆にそう言われちゃうと変な雰囲気になっちゃうみたいな感覚だと思います。
 
 
 
今日は2016年の3月11日です。5年前の3月11日とは違う日。だから過剰に騒ぐのはナンセンス。
 
でも、ひとりひとりが心の中で「がんばろう 福島」って言ってくれればいいなぁ。
 
 
 
 

3.11。

3.11。

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あれから5年 3・11東日本大震災写真集

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